[{"data":1,"prerenderedAt":1307},["ShallowReactive",2],{"article-architect-tadao-ando-libraries":3,"article-related-architect-tadao-ando-libraries":421},{"id":4,"title":5,"author":6,"body":7,"category":365,"cover_image":366,"created_at":367,"description":368,"extension":369,"faq":370,"featured":383,"meta":384,"navigation":385,"path":386,"published":385,"related_lp":387,"seo":388,"series":389,"slug":390,"sources":391,"stem":410,"tags":411,"updated_at":367,"__hash__":420},"articles\u002Farticles\u002Farchitect-tadao-ando-libraries.md","安藤忠雄、本の森をつくる｜光と打ち放しコンクリートで「子どもに本と出会う場所」を全国へ","自習室比較ナビ編集部",{"type":8,"value":9,"toc":342},"minimark",[10,14,17,24,29,32,35,39,42,45,51,55,58,61,64,70,73,76,79,85,89,92,95,98,102,105,111,115,118,121,125,128,134,137,141,144,147,150,154,157,160,163,168,171,174,177,180,184,187,193,196,199,205,209,212,215,218,221,224,227,230,233,236,240,256,259,262,265,268,271,274,278,281,284,336],[11,12,13],"p",{},"大阪・中之島。堂島川と土佐堀川に挟まれた細長い島の、緑あふれる公園の一角に、弓なりに反った打ち放しコンクリートの建物が立っています。中に入ると、天井まで届く本棚が壁という壁を埋め尽くし、子どもたちが床に座り込んで本を開いています。ここは「こども本の森 中之島」。設計したのは、世界的建築家・安藤忠雄です。",[11,15,16],{},"驚くのは、この建物を安藤が自らの費用で建て、大阪市に寄贈したという事実です。プロボクサーから独学で身を立て、世界中に名建築を残してきた巨匠が、八十歳を前にして、子どもたちのための「本の森」を全国に増やし続けている。この特集では、安藤忠雄という建築家の歩みと思想をたどりながら、彼がなぜ本の空間にこれほど心を傾けるのかを、各地の写真とともに見ていきます。",[18,19],"photo",{"caption":20,"credit":21,"href":22,"src":23},"こども本の森 中之島（2020年開館）。中之島公園に立つ、安藤忠雄設計の子どものための図書空間。","KishujiRapid \u002F CC BY-SA 4.0 \u002F Wikimedia Commons","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:Nakanoshima_Children%60s_Book_Forest.jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Fando-kodomo\u002Fnakanoshima-bookforest-exterior-1.jpg",[25,26,28],"h2",{"id":27},"拳から建築へ独学の建築家安藤忠雄","拳から建築へ——独学の建築家、安藤忠雄",[11,30,31],{},"安藤忠雄は1941年、大阪に生まれました。その経歴は、建築家としては異例づくしです。",[11,33,34],{},"高校生の頃、安藤はプロボクサーのライセンスを取得します。「グレート安藤」というリングネームで戦い、わずか一年半ほどでリングを去りました。経済的な事情から大学には進めず、建築は完全な独学で学びます。建築学科の学生が四年かけて学ぶ内容を、安藤は古本屋で買い集めた専門書を頼りに、独力で吸収していきました。",[36,37,38],"h3",{"id":38},"ガンジス川のほとりで",[11,40,41],{},"二十代の半ば、安藤は貨客船と鉄道を乗り継いで、ヨーロッパ、アフリカ、アジアを放浪します。その旅で、近代建築の巨匠ル・コルビュジエの作品に直接触れ、強い衝撃を受けました。コルビュジエが操る光と影、そして打ち放しコンクリートの力強さは、のちの安藤建築の核になっていきます。インドのベナレス（ヴァラナシ）でガンジス川のほとりに座り込み、生と死が混在する光景を前に、自分の生き方を見つめ直したという挿話も、たびたび語られています。",[11,43,44],{},"1969年、安藤は大阪に「安藤忠雄建築研究所」を設立します。学歴も人脈もない一人の青年が、独学と旅で得たものだけを武器に、建築の世界へ飛び込んだのです。",[18,46],{"caption":47,"credit":48,"href":49,"src":50},"建築家・安藤忠雄。プロボクサーから独学で世界的建築家へと歩んだ異色の経歴を持つ。","Christopher Schriner \u002F CC BY-SA 2.0 \u002F Wikimedia Commons","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:Tadao_Ando_2004.jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Fando-kodomo\u002Ftadao-ando-portrait-1.jpg",[36,52,54],{"id":53},"世界が認めた光の建築家","世界が認めた「光の建築家」",[11,56,57],{},"安藤の名を世界に知らしめたのは、コンクリートと光が織りなす一連の作品でした。",[11,59,60],{},"1976年の「住吉の長屋」は、間口の狭い都市住宅の真ん中に、屋根のない中庭を大胆に差し込んだ住宅です。雨の日は傘をさして部屋を移動しなければならない——その不便さを承知のうえで、住まいの中に「自然」を引き入れた。この作品で安藤は1979年に日本建築学会賞を受け、建築界に鮮烈な印象を残します。",[11,62,63],{},"1989年の「光の教会」（茨木）は、安藤建築の象徴と言える一作です。コンクリートの壁に十字形のスリットを切り、そこから差し込む光だけが、暗い礼拝堂に十字架を浮かび上がらせる。光そのものを建築の主役にしてみせたこの教会は、いまも世界中の建築を学ぶ人々の巡礼地になっています。",[18,65],{"caption":66,"credit":67,"href":68,"src":69},"光の教会（茨木・1989年）。コンクリートの闇に、光だけで十字架を描き出す安藤建築の代表作。","antjeverena \u002F CC BY-SA 2.0 \u002F Wikimedia Commons","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:Church_of_the_Light_exterior.jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Fando-kodomo\u002Fchurch-of-the-light-exterior-1.jpg",[11,71,72],{},"そして1995年、安藤は建築界で最も権威ある賞とされるプリツカー賞を受賞します。1997年には英国王立建築家協会（RIBA）のゴールドメダルを受け、同じ年に東京大学教授に就任しました。独学の建築家が、世界の頂点と、最高学府の教壇の両方に立ったのです。",[11,74,75],{},"安藤建築の特徴は、いくつかの言葉でまとめられます。打ち放しコンクリートの精緻な肌。円・直線・三角形といった明快な幾何学。そして何より、自然光を劇的に取り込み、光と影で空間を彫刻すること。建物を地中に埋め、水や緑や空を建築の一部に取り込む——人工物でありながら、自然との対話を絶やさない。それが安藤の流儀です。",[11,77,78],{},"2006年には、表参道の緩やかな坂に沿ってスロープがらせん状に下りていく商業施設「表参道ヒルズ」を手がけ、都市の中での建築のあり方にも答えを示しました。",[18,80],{"caption":81,"credit":82,"href":83,"src":84},"表参道ヒルズ（2006年）。表参道の勾配に合わせ、スロープ状の吹き抜けが内部を貫く。","Jean-Pierre Dalbéra \u002F CC BY 2.0 \u002F Wikimedia Commons","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:L%27int%C3%A9rieur_du_centre_commercial_Omotesando_Hills_(Tokyo,_Japon)_(41893745325).jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Fando-kodomo\u002Fomotesando-hills-interior-1.jpg",[25,86,88],{"id":87},"なぜ本の森なのか後悔から生まれた贈り物","なぜ「本の森」なのか——後悔から生まれた贈り物",[11,90,91],{},"世界的な名声を得た安藤が、近年とりわけ力を注いでいるのが、子どものための図書空間「こども本の森」です。なぜ、本なのでしょうか。",[11,93,94],{},"その答えは、安藤自身の子ども時代にあります。安藤は、本を読んだり音楽を聴いたりという経験をほとんどしないまま育ったと振り返っています。だからこそ、大人になってから「もっと早く本に出合いたかった」と後悔した。夏目漱石を読んだとき、「これを十代で読んでいたら、もっと想像力の豊かな人間になれたのではないか」と感じたとも語っています。自分が得られなかったものを、次の世代の子どもたちには手渡したい——「こども本の森」は、その思いから生まれた贈り物なのです。",[11,96,97],{},"安藤が好んで掲げるモチーフに「青リンゴ」があります。これはサミュエル・ウルマンの詩「青春」に着想を得たもので、熟しきって落ちるのではなく、青いまま挑戦し続ける心の象徴です。中之島のこども本の森のエントランスにも、この青リンゴのオブジェが置かれています。子どもにも、そして大人にも、「いつまでも青く、挑み続けよ」と語りかけているかのようです。",[25,99,101],{"id":100},"こども本の森-中之島壁一面が本になる2020年","こども本の森 中之島——壁一面が、本になる（2020年）",[11,103,104],{},"「こども本の森 中之島」は2020年7月にオープンしました。安藤が構想を発表したのは2017年。その第一弾が、安藤の地元・大阪の中之島に実現したのです。",[18,106],{"caption":107,"credit":108,"href":109,"src":110},"こども本の森 中之島の正面。弓なりに反ったコンクリートの壁が、川沿いの公園に呼応する。","まぐろのふらい \u002F CC BY-SA 4.0 \u002F Wikimedia Commons","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:%E3%81%93%E3%81%A9%E3%82%82%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%A3%AE_%E4%B8%AD%E4%B9%8B%E5%B3%B6(%E6%AD%A3%E9%9D%A2).jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Fando-kodomo\u002Fnakanoshima-bookforest-exterior-2.jpg",[36,112,114],{"id":113},"本に包囲されるという体験","本に「包囲される」という体験",[11,116,117],{},"この建物の中に入った人がまず驚くのは、壁という壁が本で埋め尽くされていることです。床から天井まで、すべてが本棚。子どもは本に物理的に包囲され、見上げても見回しても、視界のすべてが本になります。",[11,119,120],{},"高い場所の本には手が届かないのでは、という心配は無用です。安藤は、上の段と下の段に同じ本を複数置くという工夫を凝らしました。高い棚の本は「眺めて憧れるためのもの」、低い棚の本は「実際に手に取るためのもの」。本に囲まれる感覚と、手の届く現実とを、巧みに両立させています。1階の奥には天井から光が差し込む空間があり、本の絵や言葉が映し出されます。読書という体験そのものを、建築でドラマに変えているのです。",[36,122,124],{"id":123},"知の集まる島中之島","知の集まる島、中之島",[11,126,127],{},"立地もまた、意味を帯びています。中之島は、重要文化財の大阪府立中之島図書館や、大阪市中央公会堂といった歴史的な文化施設が集まる「知の島」です。そのただ中に子どものための本の森を置くことで、過去から受け継がれてきた知の集積に、未来を担う子どもたちを接続する。安藤の都市への眼差しが、ここにも表れています。",[18,129],{"caption":130,"credit":131,"href":132,"src":133},"同じ中之島に立つ大阪府立中之島図書館（重要文化財）。歴史的な知の集積地に、こども本の森が加わった。","掬茶 \u002F CC BY-SA 4.0 \u002F Wikimedia Commons","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:Facade_of_Osaka_Prefectural_Nakanoshima_Library.jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Fando-kodomo\u002Fnakanoshima-library-exterior-1.jpg",[11,135,136],{},"運営面でも工夫があります。中之島の指定管理は、図書館流通センター（TRC）などの共同事業体が担い、選書はブックディレクターとして知られる幅允孝が監修しています。「子どもがどんな本と出会うか」という最も大切な部分に、本のプロの目が入っているのです。",[25,138,140],{"id":139},"建てて贈るという方法論","「建てて、贈る」という方法論",[11,142,143],{},"こども本の森を語るうえで欠かせないのが、安藤独特の「寄贈」という方法論です。",[11,145,146],{},"ふつう、公共の図書施設は自治体が予算を組んで建てます。ところが安藤は、自ら設計し、建設費を私財で負担して建物を完成させ、それを自治体や大学に寄贈するのです。さらに、運営にかかる費用についても、安藤自身が旗振り役となって企業や個人から寄付を募ります。建築家が、設計図を描くだけでなく、お金を集め、社会の仕組みごとつくってしまう。これは、建築家の役割を大きく踏み越えた挑戦です。",[11,148,149],{},"安藤は、この「贈る」という行為を、本の森だけにとどめていません。東京湾のゴミの埋立地を森に変える「海の森」プロジェクトの旗振り役を務め、大阪では桜並木を増やす植樹運動を率い、瀬戸内では産業廃棄物で荒れた島々の自然を回復させる基金を立ち上げました。建築という枠を越えて、安藤は「次の世代に何を残すか」を問い続けています。こども本の森は、その大きな営みの、最も愛らしい結晶なのです。",[25,151,153],{"id":152},"全国へ広がる本の森","全国へ広がる、本の森",[11,155,156],{},"第一弾の中之島は、決して一度きりの試みではありませんでした。安藤の本の森は、いまも全国へと広がり続けています。",[11,158,159],{},"遠野（岩手・2021年）は、第二弾として開館しました。かつて商家だった建物の梁や柱を一部に生かし、土地の記憶と本の森を結びつけています。",[11,161,162],{},"神戸（2022年）は、街なかの公園「東遊園地」に隣接して建てられました。最大で約二万五千冊を収め、本は十五ほどの大きなテーマで分類されています。震災を経験した街に、子どもたちが本と過ごせる新しい居場所が加わりました。",[18,164],{"caption":165,"credit":21,"href":166,"src":167},"こども本の森 神戸（2022年開館）。街なかの公園に隣接し、約2万5千冊を収める。","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:Kobe_Children%E2%80%99s_Book_Forest.jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Fando-kodomo\u002Fkobe-bookforest-exterior-1.jpg",[11,169,170],{},"熊本（2024年）は、九州で初めての本の森です。県立図書館の隣に建ち、吹き抜けの大階段に沿って約一万冊が並びます。天井には熊本県産のヒノキが使われ、木の香りが空間を満たします。本を屋外の公園へ持ち出して、江津湖の水辺で読むこともできる。建築と自然と本とが、地続きにつながっています。",[11,172,173],{},"松山（2025年）は、既存の「坂の上の雲ミュージアム」に、子どものための図書空間を増築するかたちで生まれました。司馬遼太郎の小説にちなむ施設に本の森が加わるのは、後で触れる司馬遼太郎記念館とも響き合う符合です。",[11,175,176],{},"そして2026年夏には、北海道大学の構内に「こども本の森 札幌・北大」が開館を予定しています。大学のキャンパスに子どもの本の森が置かれるのは初めてで、本の森は「大学連携型」という新しい段階へと進もうとしています。さらに香川県では、安藤が寄贈した小型船を使い、瀬戸内の島々を巡る「こども図書館船」も動き出しました。離島の子どもたちのもとへ、本そのものが海を渡って会いに行く。本の森は、建物という形すら超えはじめているのです。",[11,178,179],{},"中之島から始まり、遠野、神戸、熊本、松山、そして札幌へ。本の森は、安藤が描く「次の世代への贈り物」が、確かに日本中へ根を張りつつあることを示しています。",[25,181,183],{"id":182},"司馬遼太郎記念館闇に灯る本の壁2001年","司馬遼太郎記念館——闇に灯る、本の壁（2001年）",[11,185,186],{},"安藤と本の空間との関わりは、こども本の森より前にさかのぼります。その原点とも言えるのが、2001年に開館した司馬遼太郎記念館（東大阪）です。",[18,188],{"caption":189,"credit":190,"href":191,"src":192},"司馬遼太郎記念館（2001年開館）。作家の自宅に隣接して建てられた、安藤忠雄設計の記念館。","PlusMinus \u002F CC BY-SA 3.0 \u002F Wikimedia Commons","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:ShibaRyotaroMemorialMuseum.jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Fando-kodomo\u002Fshiba-memorial-exterior-1.jpg",[11,194,195],{},"作家・司馬遼太郎の自宅に隣接して建てられたこの記念館の中心には、高さおよそ十一メートル、三層吹き抜けの巨大な書架があります。そこに約二万冊の本が壁となって並ぶ光景は、訪れる人を圧倒します。司馬の膨大な蔵書に物理的に包み込まれる感覚は、後のこども本の森の「壁一面の本」へとつながる発想の源と言えるでしょう。",[11,197,198],{},"安藤はこの空間を、「蔵書で囲われて、闇に包み込まれたような、かすかな光の空間」として構想しました。入口から奥へ進むほど光を絞り、薄暗がりのなかに本の壁がそびえる。そこへステンドグラスの窓から一筋の光が差し込みます。安藤は、その光を「作家が作品に込めた未来への希望」になぞらえました。暗闇と、そこに灯る光。光の教会で見せた安藤の主題が、ここでは「本と作家」をめぐって繰り返されているのです。",[18,200],{"caption":201,"credit":202,"href":203,"src":204},"司馬遼太郎記念館の館内。蔵書に囲まれた空間に、絞られた光が差し込む。","Yuki Yaginuma \u002F CC BY-SA 2.0 \u002F Wikimedia Commons","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:Shiba_Ryotaro_Memorial_Museum_study_Nov_1%2C_2008.jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Fando-kodomo\u002Fshiba-memorial-interior-1.jpg",[25,206,208],{"id":207},"何がこれほど人を惹きつけるのか","何が、これほど人を惹きつけるのか",[11,210,211],{},"安藤がつくる本の空間には、ふつうの図書館とは違う、独特の引力があります。その正体を、いくつかに分けて考えてみます。",[11,213,214],{},"ひとつは、スケールがもたらす体験です。壁一面の本、十一メートルの書架。本に「囲まれる」のではなく「包囲される」その圧倒的な物量は、本という存在を頭で理解するのではなく、身体で感じさせます。とりわけ子どもにとって、自分の背丈の何倍もの本の壁は、世界の広さそのものに見えるはずです。",[11,216,217],{},"ふたつめは、光の演出です。円筒形のトップライトから降りそそぐ光、ステンドグラスから差す一筋の光、絞られた闇。安藤は読書という静かな行為を、光と影のドラマの中に置き直します。本を読むことが、空間を体験することと一体になる。これは打ち放しコンクリートと光を操ってきた安藤だからこそ描ける景色です。",[11,219,220],{},"みっつめは、本と自然、本と街とのつながりです。熊本では本を公園へ持ち出して水辺で読め、中之島では川と歴史的建築に囲まれ、図書館船では本が海を渡ります。本を閉じた室内に閉じ込めず、自然や街の中へ開いていく。「本のある暮らし」を、建築のスケールで提案しているのです。",[11,222,223],{},"そして根底にあるのは、子どもへのまなざしです。安藤は「幼い頃から本を読んで、豊かな感性や想像力を育んでほしい」「元気よく自由に世界へ羽ばたいてほしい」と繰り返します。本の森は、その願いを建築という形に翻訳したものにほかなりません。",[25,225,226],{"id":226},"闘い続ける建築家",[11,228,229],{},"安藤忠雄は、二度のがんを患い、複数の臓器を失いながらも、世界中を駆け巡り、設計と講演と社会活動を続けています。八十歳を過ぎてなお、新しい本の森を構想し、寄付を募り、未来の子どもたちのために手を動かし続ける。その姿は、彼が掲げる「青リンゴ＝永遠の青春」そのものです。",[11,231,232],{},"拳ひとつから出発し、独学で世界の頂点に立った建築家は、いまその力のすべてを「次の世代に本と出会う場所を残す」ことに向けています。コンクリートと光でつくられた本の森は、訪れる子どもたちの記憶に、きっと一生消えない一冊との出会いを刻んでいくでしょう。",[11,234,235],{},"中之島の本の森の前に立つとき、私たちが見ているのは、一人の建築家の到達点であると同時に、未来へ手渡された一通の長い手紙なのです。",[25,237,239],{"id":238},"こども本の森司馬遼太郎記念館の楽しみ方のヒント","こども本の森・司馬遼太郎記念館の楽しみ方のヒント",[241,242,243,247,250,253],"ul",{},[244,245,246],"li",{},"こども本の森は基本的に入館無料で、子どもから大人まで利用できます。館によっては事前予約制の場合があるため、訪問前に各館の公式サイトで予約の要否をご確認ください。",[244,248,249],{},"建築としても見ごたえがあります。壁一面の本棚や光の取り込み方など、安藤建築ならではの空間をじっくり味わうのがおすすめです。",[244,251,252],{},"司馬遼太郎記念館は有料の文化施設です。高さ約11メートルの大書架は必見ですが、館内の撮影ルールは事前に確認しておくと安心です。",[244,254,255],{},"いずれの施設も、子どもが本と過ごす空間です。静けさや他の利用者への配慮を大切に、ゆっくり過ごしてください。",[25,257,258],{"id":258},"よくある質問",[11,260,261],{},"Q. 安藤忠雄とはどんな建築家ですか？\nA. 1941年大阪生まれの建築家です。プロボクサーを経て、大学に通わず独学で建築を学びました。打ち放しコンクリートと自然光を生かした作品で知られ、「光の教会」「住吉の長屋」「地中美術館」などを手がけています。1995年に建築界で最も権威あるプリツカー賞を受賞しました。",[11,263,264],{},"Q. 「こども本の森」とは何ですか？どこにありますか？\nA. 安藤忠雄が設計し、建設費を私費で負担して自治体などに寄贈している、子どものための図書空間です。2020年の中之島（大阪）を皮切りに、遠野（岩手・2021年）、神戸（2022年）、熊本（2024年）、松山（2025年）と各地に広がっています。2026年夏には北海道大学構内（札幌）の開館も予定されています。",[11,266,267],{},"Q. こども本の森や司馬遼太郎記念館は誰でも入れますか？無料ですか？\nA. こども本の森は基本的に入館無料で、子どもから大人まで利用できます（館により事前予約制の場合があります）。司馬遼太郎記念館は有料の文化施設です。いずれも開館日・予約の要否・撮影可否は館ごとに異なるため、訪問前に各館の公式サイトでご確認ください。",[11,269,270],{},"Q. 司馬遼太郎記念館の大書架はどのくらいの高さですか？\nA. 安藤忠雄が設計した記念館（2001年開館）の中心にある壁一面の大書架は、高さおよそ11メートル・3層吹き抜けで、約2万冊の本が並びます。蔵書に囲まれた薄暗い空間に光が差し込む、安藤らしい「闇と光」の構成になっています。",[11,272,273],{},"Q. なぜ安藤忠雄は子どものための図書館をつくっているのですか？\nA. 安藤自身が子どもの頃に本に親しむ機会がほとんどなく、「もっと早く本に出合いたかった」と後悔したことが原点だと語っています。自分が得られなかった「本との出会い」を次の世代に手渡したいという思いから、私財を投じて各地に「こども本の森」を建て、寄贈しています。",[25,275,277],{"id":276},"調査方法写真について","調査方法・写真について",[11,279,280],{},"本記事は、安藤忠雄および各施設・自治体・運営団体の公開情報、新聞・雑誌・ウェブメディア等の公表資料、各館の公式サイトなどを参照し、編集部が2026年6月時点で確認して構成しています。開館年・蔵書数などの数字は資料・時点によって幅がある場合があるため、本文では「およそ」「約」といった表現で扱っています。掲載写真は Wikimedia Commons で公開されている画像（各写真にクレジットを明記）を利用しています。こども本の森および司馬遼太郎記念館の館内写真は公開画像が限られるため、外観や関連施設の写真を中心に構成しています。最新の開館状況・予約の要否・撮影可否は各施設の公式サイトでご確認ください。",[25,282,283],{"id":283},"もっと探す",[241,285,286,300,308,316],{},[244,287,288,289,294,295,299],{},"建築家別の図書館特集は ",[290,291,293],"a",{"href":292},"\u002Farticles\u002Farchitect-toyo-ito-libraries","伊東豊雄の図書館","・",[290,296,298],{"href":297},"\u002Farticles\u002Farchitect-kengo-kuma-libraries","隈研吾の図書館"," もどうぞ。",[244,301,302,303,307],{},"建築が主役の特集は ",[290,304,306],{"href":305},"\u002Farticles\u002Fbeautiful-libraries-japan","建築が美しい・おしゃれな図書館8選"," へ。",[244,309,310,311,315],{},"本屋を再発明し続ける企業の物語は ",[290,312,314],{"href":313},"\u002Farticles\u002Ffeature-ccc-tsutaya-bookstores","蔦屋書店はなぜ「居たくなる」のか"," で扱っています。",[244,317,318,322,323,294,327,294,331,335],{},[290,319,321],{"href":320},"\u002Fspaces?category=library","全国の図書館を探す","・各エリアは ",[290,324,326],{"href":325},"\u002Fosaka","大阪府",[290,328,330],{"href":329},"\u002Fhyogo","兵庫県",[290,332,334],{"href":333},"\u002Fkumamoto","熊本県"," の都道府県ページからも探せます。",[11,337,338],{},[339,340,341],"em",{},"開館状況・営業時間・予約の要否などは変更される場合があります。来館前に各施設の公式サイトで最新情報をご確認ください。",{"title":343,"searchDepth":344,"depth":344,"links":345},"",2,[346,351,352,356,357,358,359,360,361,362,363,364],{"id":27,"depth":344,"text":28,"children":347},[348,350],{"id":38,"depth":349,"text":38},3,{"id":53,"depth":349,"text":54},{"id":87,"depth":344,"text":88},{"id":100,"depth":344,"text":101,"children":353},[354,355],{"id":113,"depth":349,"text":114},{"id":123,"depth":349,"text":124},{"id":139,"depth":344,"text":140},{"id":152,"depth":344,"text":153},{"id":182,"depth":344,"text":183},{"id":207,"depth":344,"text":208},{"id":226,"depth":344,"text":226},{"id":238,"depth":344,"text":239},{"id":258,"depth":344,"text":258},{"id":276,"depth":344,"text":277},{"id":283,"depth":344,"text":283},"feature",null,"2026-06-07","プロボクサーから独学で世界的建築家になった安藤忠雄。打ち放しコンクリートと光で知られる巨匠は、いま私財を投じて「こども本の森」を各地に建て、自治体へ寄贈しています。中之島・神戸・熊本・松山へと広がる本の森と、約11mの大書架を持つ司馬遼太郎記念館。安藤がなぜ本の空間にこだわるのか、その建築と思想を写真とともに深掘りします。","md",[371,374,377,380],{"q":372,"a":373},"安藤忠雄とはどんな建築家ですか？","1941年大阪生まれの建築家です。プロボクサーを経て、大学に通わず独学で建築を学びました。打ち放しコンクリートと自然光を生かした作品で知られ、「光の教会」「住吉の長屋」「地中美術館」などを手がけています。1995年に建築界で最も権威あるプリツカー賞を受賞しました。",{"q":375,"a":376},"「こども本の森」とは何ですか？どこにありますか？","安藤忠雄が設計し、建設費を私費で負担して自治体などに寄贈している、子どものための図書空間です。2020年の中之島（大阪）を皮切りに、遠野（岩手・2021年）、神戸（2022年）、熊本（2024年）、松山（2025年）と各地に広がっています。2026年夏には北海道大学構内（札幌）の開館も予定されています。",{"q":378,"a":379},"こども本の森や司馬遼太郎記念館は誰でも入れますか？無料ですか？","こども本の森は基本的に入館無料で、子どもから大人まで利用できます（館により事前予約制の場合があります）。司馬遼太郎記念館は有料の文化施設です。いずれも開館日・予約の要否・撮影可否は館ごとに異なるため、訪問前に各館の公式サイトでご確認ください。",{"q":381,"a":382},"司馬遼太郎記念館の大書架はどのくらいの高さですか？","安藤忠雄が設計した記念館（2001年開館）の中心にある壁一面の大書架は、高さおよそ11メートル・3層吹き抜けで、約2万冊の本が並びます。蔵書に囲まれた薄暗い空間に光が差し込む、安藤らしい「闇と光」の構成になっています。",[],{},true,"\u002Farticles\u002Farchitect-tadao-ando-libraries",[320],{"title":5,"description":368},"library-architecture","architect-tadao-ando-libraries",[392,395,398,401,404,407],{"name":393,"url":394},"安藤忠雄 — Wikipedia","https:\u002F\u002Fja.wikipedia.org\u002Fwiki\u002F%E5%AE%89%E8%97%A4%E5%BF%A0%E9%9B%84",{"name":396,"url":397},"こども本の森 中之島（公式・施設について）","https:\u002F\u002Fkodomohonnomori.osaka\u002Fabout\u002F",{"name":399,"url":400},"安藤忠雄インタビュー「こども本の森に込めたメッセージ」（GOETHE）","https:\u002F\u002Fgoetheweb.jp\u002Fperson\u002Farticle\u002F20221028-2face-tadao-ando-1",{"name":402,"url":403},"こども本の森 神戸（公式）","https:\u002F\u002Fkodomohonnomori-kobe.jp\u002Fabout",{"name":405,"url":406},"司馬遼太郎記念館（公式）","https:\u002F\u002Fwww.shibazaidan.or.jp\u002Fabout\u002F",{"name":408,"url":409},"Tadao Ando — The Pritzker Architecture Prize 1995","https:\u002F\u002Fwww.pritzkerprize.com\u002Flaureates\u002F1995","articles\u002Farchitect-tadao-ando-libraries",[412,413,414,415,416,417,418,419],"安藤忠雄","こども本の森","司馬遼太郎記念館","図書館","建築","建築家","打ち放しコンクリート","特集","wooW_4vVrNUPNOu4IDzTwHXDj3gMxFkXGEXXx_NMhUU",[422,752,1023],{"id":423,"title":424,"author":6,"body":425,"category":365,"cover_image":366,"created_at":726,"description":727,"extension":369,"faq":728,"featured":736,"meta":737,"navigation":385,"path":738,"published":385,"related_lp":739,"seo":740,"series":741,"slug":742,"sources":743,"stem":744,"tags":745,"updated_at":726,"__hash__":751},"articles\u002Farticles\u002Fadministrative-scrivener-history-trends.md","行政書士試験はどう変わったか — 合格率が乱高下する絶対評価、受験者回復の20年と現在地",{"type":8,"value":426,"toc":704},[427,430,450,453,476,480,483,486,489,492,495,499,503,506,509,512,516,519,522,525,529,532,535,539,542,546,549,552,555,559,562,565,568,571,574,577,580,583,587,590,593,597,600,622,632,634,638,641,645,648,652,655,659,662,666,669,673,676,680,683,687],[11,428,429],{},"行政書士試験の合格率を年ごとに並べると、まるで心電図のようにギザギザと上下します。ある年は6%台、別の年は15%台。同じ試験とは思えないほどの振れ幅です。これは試験のレベルが毎年乱高下しているからではありません。この試験が持つ「絶対評価」という仕組みが、そのまま数字に表れているのです。",[11,431,432,433,294,437,294,441,294,445,449],{},"そして行政書士という資格そのものも、グラフのギザギザに負けないくらい、波乱に富んだ歩みをたどってきました。明治の「代書人」に始まり、戦後に一度は資格が消えかけ、人気ドラマで受験ブームが起き、いまや外国人の在留資格やドローンの飛行許可まで手がける——「街の法律家」の守備範囲は、時代とともに大きく広がってきたのです。この記事では、行政書士試験研究センターの統計をグラフで追いながら、その歴史的背景と現在地を読み解いていきます。「資格試験の歴史的推移と現在地」シリーズの一編です（",[290,434,436],{"href":435},"\u002Farticles\u002Fbar-exam-history-trends","司法試験編",[290,438,440],{"href":439},"\u002Farticles\u002Fcpa-history-trends","公認会計士編",[290,442,444],{"href":443},"\u002Farticles\u002Ftax-accountant-history-trends","税理士編",[290,446,448],{"href":447},"\u002Farticles\u002Fjudicial-scrivener-history-trends","司法書士編","もどうぞ）。",[25,451,452],{"id":452},"この記事の要点",[241,454,455,458,461,464,467,470,473],{},[244,456,457],{},"行政書士の起源は明治5年（1872年）の「代書人」。戦後にいったん資格が失効した空白期もあった",[244,459,460],{},"試験は定員のない絶対評価。300点満点中180点以上などの基準を満たせば全員が合格できる",[244,462,463],{},"そのため合格率は問題の難易度によって6%台から15%台まで大きく変動する",[244,465,466],{},"2000年・2006年の制度改革で出題が法令中心へ変わり、試験は難化した",[244,468,469],{},"ドラマ「カバチタレ!」が放送された2000年代初頭に受験者が急増した時期がある",[244,471,472],{},"受験者数は2018年度の底から回復し、2025年度は50,163人と直近で最多に",[244,474,475],{},"入管業務（在留資格）やドローン許可など、行政書士の仕事は時代とともに広がっている",[25,477,479],{"id":478},"代書人というルーツそして一度消えた資格","「代書人」というルーツ、そして一度消えた資格",[11,481,482],{},"行政書士のルーツは、司法書士と同じく、明治のはじめの「代書人」にあります。",[11,484,485],{},"1872年（明治5年）の司法職務定制で定められた代書人のうち、役所（官公署）に提出する書類の作成を担った人々が、行政書士の直接の祖先です。当初は取り締まりのルールが地域ごとにバラバラでしたが、1920年（大正9年）に内務省が「代書人規則」を定め、全国の制度がようやく統一されました。この規則で定義された代書人が、いまの行政書士へとまっすぐつながっています。",[11,487,488],{},"ところが、この資格には一度「消えた」時期があります。戦後、日本国憲法の施行にともなって古い命令が効力を失う際、代書人規則も1947年（昭和22年）に失効してしまったのです。資格制度がぽっかりと空白になりました。「住民の手続きを支える専門家が必要だ」という現場の声を受け、改めて法律で位置づけ直す動きが起こり、1951年（昭和26年）に行政書士法が成立します。一度は制度ごと消えかけた資格が、必要とされて復活した——これも行政書士の歴史を語るうえで面白いエピソードです。",[11,490,491],{},"行政書士の業務独占は、この行政書士法に根拠があります。他人の依頼を受けて報酬を得て、①官公署に提出する書類、②権利義務に関する書類、③事実証明に関する書類を作成すること。これが行政書士の独占業務です。ただし、登記は司法書士、税務は税理士というように、他の法律で専門家が定められている分野は除かれます。「役所に出す書類のプロ」という位置づけが、ここで形づくられました。",[11,493,494],{},"制度と受験者数の流れを年表で見てみましょう。",[496,497],"exam-timeline",{"id":498},"gyosei",[25,500,502],{"id":501},"なぜ定員ゼロ絶対評価なのか","なぜ「定員ゼロ・絶対評価」なのか",[11,504,505],{},"行政書士試験の最大の特徴は、合否の決め方にあります。多くの難関試験が「上位何%」を合格にする相対評価なのに対し、行政書士試験は定員のない絶対評価です。300点満点中180点以上（おおむね6割）を取り、法令科目・基礎知識それぞれの基準点も満たせば、その年に何人いようと全員が合格できます。",[11,507,508],{},"なぜ、このような仕組みなのでしょうか。行政書士試験は、限られた椅子を奪い合う競争選抜ではなく、「行政手続を扱うのに必要な一定の実務能力があるか」を確かめる試験だからです。基準に達した人は、ライバルの出来に関係なく合格させる。そういう設計思想です。試験は都道府県知事が実施する建前ですが、その事務は総務大臣が指定する一般財団法人・行政書士試験研究センターに委任されており、全国共通の水準が保たれています。",[11,510,511],{},"この絶対評価のもとでは、合格率は受験生のレベルではなく「その年の問題が難しかったか・易しかったか」でほぼ決まります。問題が難しければ180点に届く人が減って合格率が下がり、易しければ合格率が跳ね上がる。だからグラフは毎年ギザギザに揺れるのです。総得点が180点を超えても、基礎知識の基準点に届かなければ不合格になる「足切り」もあり、「6割取ったのに落ちる」ことも起こりえます。",[25,513,515],{"id":514},"試験が難しくなった理由-2000年と2006年の転換","試験が難しくなった理由 — 2000年と2006年の転換",[11,517,518],{},"「行政書士は昔より難しくなった」とよく言われます。これには、はっきりした制度的な理由があります。",[11,520,521],{},"転機は2000年（平成12年）の改正でした。それまでの行政書士試験は、時事的な一般教養を問う色合いが強い試験でしたが、この改正で試験委員が法律の学識者中心となり、出題が法令中心へと大きく舵を切ります。続く2006年度（平成18年度）には、法令科目を重視し、記述式を含む現在の出題形式が固まりました。背景にあるのは、行政手続がますます複雑・専門化するなかで、書類を作るだけでなく法令を正確に理解した専門家を求める、という時代の要請です。",[11,523,524],{},"この流れは今も続いています。2024年度（令和6年度）からは、従来の「一般知識」が「基礎知識」へと改組され、行政書士法など業務に直結する法令や、情報通信・個人情報保護といったデジタル社会への対応が重視されるようになりました。試験の中身は、社会の変化を映しながら少しずつ作り替えられているのです。",[25,526,528],{"id":527},"カバチタレが起こした受験ブーム","「カバチタレ!」が起こした受験ブーム",[11,530,531],{},"行政書士の歴史には、ちょっと変わったエピソードがあります。一本のドラマが、受験者数を動かしたのです。",[11,533,534],{},"2001年前後、行政書士を主人公にした人気漫画「カバチタレ!」がドラマ化され、注目を集めました。それまで地味な印象だった「街の法律家」が、トラブル解決に奔走する身近なヒーローとして茶の間に登場したのです。その効果は数字にも表れ、平成14年度（2002年）の受験者数は約67,000人に達し、合格率も19%台まで跳ね上がりました。マンガやドラマが国家資格の人気を押し上げる——これは資格の世界でも珍しい現象で、行政書士という資格が持つ「身近さ」を象徴する出来事でした。",[25,536,538],{"id":537},"乱高下する合格率底を打った受験者数","乱高下する合格率、底を打った受験者数",[11,540,541],{},"次のグラフは、行政書士試験の受験者数・合格者数（棒）と合格率（折れ線）の推移です。",[543,544],"exam-chart",{"id":545},"gyosei-overview",[11,547,548],{},"赤い折れ線の暴れっぷりに注目してください。2006年度は4.8%と低く、翌2007年度は8.6%へ。2014年度は8.3%、2015年度は13.1%、2017年度は15.7%と当たり年もあれば、その翌年は12.7%へ。相対評価の試験では考えにくい振れ幅ですが、絶対評価ならこれが自然な姿です。難化した年には合格基準点を引き下げる「補正措置」が取られることもあり、2014年度などがその例です。",[11,550,551],{},"棒グラフ（受験者数）も大きく動いています。「カバチタレ!」ブームの後、受験者は減り続け、2018年度には39,105人まで落ち込みました。ところがそこが底でした。2021年度以降は増加に転じ、2025年度には50,163人と直近で最多を記録しています。合格者数（薄い棒）も近年は6,000〜7,000人台と厚く、2025年度は7,292人が合格しました。",[11,553,554],{},"受験者が再び増えている背景には、独立開業しやすい国家資格としての注目度の高まり、社会人の学び直しや副業への関心、他資格と組み合わせる「ダブルライセンス」志向があります。登録している行政書士の数も増え続けており、女性の行政書士はこの15年ほどで約2倍に増えました。「比較的挑戦しやすい入口の士業」という位置づけが、人気の再燃を後押ししています。",[25,556,558],{"id":557},"街の法律家の守備範囲はこう広がった","街の法律家の守備範囲は、こう広がった",[11,560,561],{},"受験者数の回復を支えているのは、行政書士の「仕事の広がり」でもあります。",[11,563,564],{},"行政書士の業務は、もともと建設業・運送業・飲食店・産業廃棄物処理業といった幅広い分野の許認可申請が中心でした。そこに、相続・遺言の書類作成、自動車の登録・車庫証明、農地転用、補助金・助成金の申請などが加わります。役所に出すあらゆる書類が、行政書士の活躍の場というわけです。",[11,566,567],{},"そして近年、とくに存在感を増しているのが「入管業務（国際業務）」です。在留資格（ビザ）の取得・変更・更新や、永住許可、帰化の支援。この分野の土台になっているのが1989年（平成元年）に始まった「申請取次制度」で、法務大臣の研修などを経た「申請取次行政書士」は、外国人本人に代わって入管へ申請を取り次げます。背景にあるのは、在留外国人の急増です。2025年6月末時点で在留外国人は約395万人と過去最多を更新し、人手不足を補う「特定技能」の在留外国人も30万人を超えました。外国人と日本社会の橋渡し役として、行政書士の需要は確実に高まっています。",[11,569,570],{},"さらに新しい分野も生まれています。たとえばドローンの飛行許可申請。空の規制が年々細かくなるなか、国土交通省への許可手続を代行する「ドローン専門行政書士」まで登場しました。「役所に出す書類」が時代とともに増えれば、それだけ行政書士の食い扶持も広がる。守備範囲が固定されていないことこそ、この資格の強みなのです。",[25,572,573],{"id":573},"ダブルライセンスという選択",[11,575,576],{},"行政書士の人気を語るうえで欠かせないのが、「ダブルライセンス」という考え方です。",[11,578,579],{},"行政書士の業務は、役所に出す書類を広くカバーする一方で、単独では完結しない場面も少なくありません。たとえば会社設立では、定款作成までは行政書士が担えますが、登記は司法書士の領域。労務関係の手続きは社会保険労務士、税務は税理士の領域です。そこで、行政書士に別の士業を組み合わせて、依頼者の手続きをワンストップで引き受けようという発想が生まれます。司法書士・社会保険労務士・宅地建物取引士などと掛け合わせる人が多く、行政書士はその「入口」や「ハブ」として選ばれやすい資格なのです。",[11,581,582],{},"比較的挑戦しやすく、独立開業の自由度が高いことも、行政書士が選ばれる理由です。ただし、資格を取れば自動的に仕事が来るわけではありません。どの分野を専門にするか、どう依頼者を見つけるかという「営業」の力が、開業後の明暗を分けます。だからこそ、在学中や働きながら早めに資格を取り、自分の強みとなる分野をじっくり育てていく——そんな長い視点で臨む人が増えています。学習を継続できる環境を持つことは、合格後のキャリア設計の第一歩でもあるのです。",[25,584,586],{"id":585},"現在地人気再燃のなかの年による運不運","現在地：人気再燃のなかの「年による運・不運」",[11,588,589],{},"2025年度の行政書士試験は、受験者50,163人・合格7,292人・合格率14.5%。受験者数の回復が続き、活気を取り戻しています。一方で、絶対評価ゆえの「年による運・不運」は変わりません。同じ実力でも、受けた年の問題難易度によって結果が変わりうる——これは行政書士試験を受けるうえで知っておくべき性格です。",[11,591,592],{},"だからこそ対策の基本は、「合格率が高い年を狙う」ことではなく、「どんな難易度の年でも180点を確実に超える地力」をつけることに尽きます。明治の代書人から始まり、消えかけては復活し、ドラマでブームを起こし、いまは国際化やデジタル化の最前線で書類を扱う。行政書士は、時代の変化をいちばん身近に映してきた資格と言えるかもしれません。",[25,594,596],{"id":595},"これから目指す人へ-安定した地力を育てる環境","これから目指す人へ — 安定した地力を育てる環境",[11,598,599],{},"合格率が揺れる試験だからこそ、ぶれない実力づくりが何より大切です。行政書士試験は法令科目の正確な暗記と、記述式での表現力が問われます。毎日コツコツと知識を積み上げ、過去問と記述対策を繰り返す——そのリズムを保てる環境が、合格を引き寄せます。",[241,601,602,605,612,619],{},[244,603,604],{},"六法・テキスト・問題集を広げられる机",[244,606,607,608],{},"暗記と記述演習に集中できる",[290,609,611],{"href":610},"\u002Fspaces?category=study_room&hasPrivateRoom=true","個室・半個室タイプの自習室",[244,613,614,615],{},"仕事や学業のすき間時間を使える",[290,616,618],{"href":617},"\u002Fspaces?category=study_room&open24h=true","24時間営業の自習室",[244,620,621],{},"通いやすい駅近の立地",[11,623,624,628,629,631],{},[290,625,627],{"href":626},"\u002Ftokyo","東京都","や",[290,630,326],{"href":325},"をはじめ、本サイトでは条件を絞って自分に合う自習室・コワーキングスペースを探せます。社会人受験生の多い試験だからこそ、生活に無理なく組み込める「勉強の拠点」を確保することが、合格への近道です。",[25,633,258],{"id":258},[36,635,637],{"id":636},"行政書士の起源はいつですか","行政書士の起源はいつですか？",[11,639,640],{},"1872年（明治5年）の司法職務定制で定められた「代書人」が起源です。役所に提出する書類の作成を担う「行政代書人」が、現在の行政書士につながります。1920年（大正9年）の代書人規則で全国の制度が統一され、戦後にいったん資格が失効した空白期を経て、1951年に行政書士法が成立しました。",[36,642,644],{"id":643},"行政書士試験の合格率はなぜ年によって大きく変わるのですか","行政書士試験の合格率はなぜ年によって大きく変わるのですか？",[11,646,647],{},"行政書士試験は定員のない絶対評価で、300点満点中180点以上などの基準を満たせば全員が合格できる仕組みだからです。そのため問題の難易度によって、合格率が6%台から15%台まで大きく変動します。",[36,649,651],{"id":650},"行政書士試験の受験者数は増えていますか","行政書士試験の受験者数は増えていますか？",[11,653,654],{},"2018年度の39,105人を底に増加に転じ、2025年度は50,163人と直近で最多になりました。独立開業しやすい資格としての注目や、社会人の学び直し・ダブルライセンス志向を背景に、人気が再燃しています。",[36,656,658],{"id":657},"補正措置とは何ですか","「補正措置」とは何ですか？",[11,660,661],{},"問題が難しく合格者が著しく減りそうな年に、合格基準点を引き下げて調整する措置です。2014年度などに行われました。定員のない絶対評価の試験ならではの仕組みです。",[36,663,665],{"id":664},"行政書士試験はいつ制度が変わりましたか","行政書士試験はいつ制度が変わりましたか？",[11,667,668],{},"2000年（平成12年）の改正で出題が法令中心へと転換し、2006年度（平成18年度）に記述式を含む現行の出題形式が固まりました。さらに2024年度からは「一般知識」が「基礎知識」へ改組され、行政書士法やデジタル関連の知識が重視されるようになっています。",[36,670,672],{"id":671},"行政書士の入管業務とは何ですか","行政書士の入管業務とは何ですか？",[11,674,675],{},"在留資格（ビザ）の取得・変更・更新、永住許可、帰化などの申請を外国人に代わって支援する業務です。法務大臣の研修・効果測定を経た「申請取次行政書士」は、本人に代わって入管へ申請を取り次げます。在留外国人の増加を背景に、近年とくに需要が伸びている分野です。",[36,677,679],{"id":678},"行政書士の勉強はどんな環境が向いていますか","行政書士の勉強はどんな環境が向いていますか？",[11,681,682],{},"法令科目の暗記と記述対策に集中できる、長時間こもれる自習室やコワーキングスペースが向いています。",[25,684,686],{"id":685},"調査方法データについて","調査方法・データについて",[241,688,689,692,695,698,701],{},[244,690,691],{},"受験者数・合格者数・合格率は、一般財団法人 行政書士試験研究センターが公表する「試験結果の推移」をもとに集計しました。合格率は合格者数÷受験者数（公式準拠）です。",[244,693,694],{},"制度の背景（代書人からの沿革、行政書士法、絶対評価の仕組み、2000年・2006年・2024年の試験制度改革、申請取次制度、在留外国人の動向など）は、日本行政書士会連合会・総務省・出入国在留管理庁・e-Govなどの公表資料をもとに整理しました。年度別の受験者数の細かい数値やピーク年は出典により差がある場合があります。",[244,696,697],{},"直近10年の試験結果は公式資料、それ以前は複数の公開資料でクロスチェックしています。",[244,699,700],{},"本記事のグラフは、上記の統計を当サイトが図表化したものです。",[244,702,703],{},"データ取得・確認日: 2026年6月6日。最新年度の数値は今後の発表により更新される場合があります。",{"title":343,"searchDepth":344,"depth":344,"links":705},[706,707,708,709,710,711,712,713,714,715,716,725],{"id":452,"depth":344,"text":452},{"id":478,"depth":344,"text":479},{"id":501,"depth":344,"text":502},{"id":514,"depth":344,"text":515},{"id":527,"depth":344,"text":528},{"id":537,"depth":344,"text":538},{"id":557,"depth":344,"text":558},{"id":573,"depth":344,"text":573},{"id":585,"depth":344,"text":586},{"id":595,"depth":344,"text":596},{"id":258,"depth":344,"text":258,"children":717},[718,719,720,721,722,723,724],{"id":636,"depth":349,"text":637},{"id":643,"depth":349,"text":644},{"id":650,"depth":349,"text":651},{"id":657,"depth":349,"text":658},{"id":664,"depth":349,"text":665},{"id":671,"depth":349,"text":672},{"id":678,"depth":349,"text":679},{"id":685,"depth":344,"text":686},"2026-06-06","「代書人」に始まり一度は消えかけた資格、ドラマ「カバチタレ!」が起こした受験ブーム、入管業務やドローンへ広がる守備範囲。なぜ合格率は毎年乱高下するのか。行政書士試験研究センターの統計のグラフとともに、歴史的背景と現在地を読み解きます。",[729,730,731,732,733,734,735],{"q":637,"a":640},{"q":644,"a":647},{"q":651,"a":654},{"q":658,"a":661},{"q":665,"a":668},{"q":672,"a":675},{"q":679,"a":682},[],{},"\u002Farticles\u002Fadministrative-scrivener-history-trends",[617,610,626,325],{"title":424,"description":727},"exam","administrative-scrivener-history-trends",[],"articles\u002Fadministrative-scrivener-history-trends",[746,747,748,749,750],"行政書士","行政書士試験","資格試験","合格率推移","歴史","zxrOuD5NQiCi9O4ZL0LscMr_pFlx8GoqskKyhdJcV1c",{"id":753,"title":754,"author":6,"body":755,"category":365,"cover_image":366,"created_at":995,"description":996,"extension":369,"faq":997,"featured":1010,"meta":1013,"navigation":385,"path":297,"published":385,"related_lp":1014,"seo":1015,"series":389,"slug":1016,"sources":1017,"stem":1018,"tags":1019,"updated_at":995,"__hash__":1022},"articles\u002Farticles\u002Farchitect-kengo-kuma-libraries.md","建築家・隈研吾の図書館｜梼原「雲の上の図書館」からTOYAMAキラリへ",{"type":8,"value":756,"toc":973},[757,760,763,766,769,773,776,780,783,787,790,794,802,805,809,812,818,822,825,830,834,837,841,847,850,854,857,863,867,870,874,877,881,884,898,901,905,919,921,924,927,930,933,935,938,940,968],[11,758,759],{},"コンクリートで街を覆い尽くした20世紀への、静かな反論。それが、建築家・隈研吾が掲げた「負ける建築」でした。素材は、木。手本は、その土地の森と職人。彼の図書館に足を踏み入れると、本よりも先に、まず木の匂いが出迎えてくれます。",[11,761,762],{},"この特集では、隈という建築家の歩みから、2つの図書館が生まれた経緯、そして建物がどのように街へ溶け込んでいるかまでを、写真とともにじっくり読み解きます。ひとつは四国山間の小さな町に、もうひとつは富山の街なかに。場所はまるで違うのに、どちらも「木の力」に満ちています。",[25,764,765],{"id":765},"隈研吾という建築家",[11,767,768],{},"隈研吾は1954年、神奈川県横浜市の生まれ。1979年に東京大学大学院を修了し、1990年に自身の事務所を構えました。国立競技場（2019年完成）の設計者として、その名は一般にも広く知られています。",[36,770,772],{"id":771},"勝つ建築から負ける建築へ","「勝つ建築」から「負ける建築」へ",[11,774,775],{},"隈の建築思想を一言で表すのが、著書のタイトルにもなった「負ける建築」です。周囲の環境を圧倒してそびえ立つ超高層ビルのような、20世紀型の「勝つ建築」。それに対し、これからの建築は風土や自然、人の営みといったさまざまな外力を受け入れ、環境に溶け込む「負ける」道をめざすべきだ——。コンクリートやガラスで自己主張するのではなく、木や石、土といった地域の自然素材を主役に据える姿勢が、ここから生まれます。",[36,777,779],{"id":778},"木で世界を編む-代表作","木で世界を編む — 代表作",[11,781,782],{},"「負ける建築」の手法は、国内外の名建築として結実しています。日本庭園に向かってガラスで大きく開き、切妻屋根の量塊が環境と調和する根津美術館（2009年・毎日芸術賞）。建物の一部を川にせり出させ、水と一体になったスコットランド初のデザイン美術館V&Aダンディー（2018年）。そして、全国から集めた木を軒庇に編み込んだ国立競技場（2019年）。ほかにも森舞台\u002F登米町伝統芸能伝承館（日本建築学会賞）、高輪ゲートウェイ駅、太宰府天満宮表参道のスターバックスなど、木と自然素材を生かした作品は枚挙にいとまがありません。",[36,784,786],{"id":785},"すべてはひとつの小さな町から始まった","すべては、ひとつの小さな町から始まった",[11,788,789],{},"その隈研吾の木造建築の原点は、高知県の山あいにある梼原町（ゆすはらちょう）にあります。1987年、彼はこの町で木造の芝居小屋「梼原座」に出会い、その保存に関わったことをきっかけに、町と長い付き合いを始めました。雲の上のホテル、総合庁舎、ギャラリー、まちの駅——梼原には、隈の木造建築が点々と建ち、いつしか「隈研吾建築のミュージアム」とも呼ばれる町になりました。その集大成のひとつが、次に紹介する図書館です。",[25,791,793],{"id":792},"雲の上の図書館-杉の森に分け入る","雲の上の図書館 — 杉の森に、分け入る",[795,796],"library-feature",{"architect":797,"location":798,"name":799,"slug":800,"year":801},"隈研吾","高知県梼原町","雲の上の図書館（梼原町立図書館）","library-unknown-461","2018年",[11,803,804],{},"2018年に開館した雲の上の図書館（梼原町立図書館）。扉を開けた瞬間、息をのみます。天井からは、無数の杉の梁が枝のように四方へ伸び、頭上に木の森が広がっているのです。",[36,806,808],{"id":807},"この図書館ができるまで梼原と隈研吾30年の物語","［この図書館ができるまで］梼原と隈研吾、30年の物語",[11,810,811],{},"この図書館は、ある日突然あらわれたわけではありません。1987年の梼原座との出会いから始まった、隈と梼原町の約30年にわたる関係の延長線上に建っています。ホテル、庁舎、ギャラリーと、町に木造建築を積み重ねてきた末に、町の人々が日常的に集える「図書館」というかたちにたどり着いた——いわば、長い物語の最終章のひとつです。梼原産のスギ材をふんだんに使い、鉄と杉を組み合わせた混構造で、「森のなかの町」にふさわしい森のような空間を実現しました。",[18,813],{"caption":814,"credit":815,"href":816,"src":817},"外壁には杉の板がランダムに掛けられ、本が並ぶ書架のように見える。","Asset utilitist \u002F CC0 \u002F Wikimedia Commons","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:%E3%82%86%E3%81%99%E3%81%AF%E3%82%89%E9%9B%B2%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%EF%BC%88%E6%A2%BC%E5%8E%9F%E7%94%BA%E7%AB%8B%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%EF%BC%89_01.jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Fkengo-kuma\u002Fyusuhara-01.jpg",[36,819,821],{"id":820},"木漏れ日が降る混構造の森","木漏れ日が降る、混構造の森",[11,823,824],{},"複雑に組み上げられた杉の梁が、まさに森の樹冠のように覆いかぶさり、その隙間からやわらかな光が落ちてきます。中央の柱から枝のように梁が広がるさまは、一本の大樹の下に立っているかのよう。階段状になった床に腰を下ろせば、木に抱かれて本を開く、ほかにない読書体験が待っています。",[18,826],{"caption":827,"credit":815,"href":828,"src":829},"中央の柱から放射状に広がる杉の梁。森の樹冠の下にいるような館内。","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:%E3%82%86%E3%81%99%E3%81%AF%E3%82%89%E9%9B%B2%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%EF%BC%88%E6%A2%BC%E5%8E%9F%E7%94%BA%E7%AB%8B%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%EF%BC%89_02.jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Fkengo-kuma\u002Fyusuhara-02.jpg",[36,831,833],{"id":832},"街への溶け込み靴を脱いで過ごす町のリビング","［街への溶け込み］靴を脱いで過ごす、町のリビング",[11,835,836],{},"館内は靴を脱いで上がるくつろいだ造りで、子どもから大人まで一日を過ごせる場所として親しまれています。福祉施設「YURURIゆすはら」と一体となった複合建築でもあり、図書館が町の暮らしにそっと溶け込んでいるのも梼原らしさ。標高の高い山間の町でありながら、この建築だけを目当てに県外からも人が訪れ、いまや梼原を象徴する建築観光の拠点になっています。小さな町に、外から人と関心を呼び込む——建築が地域の活力そのものになっている好例です。",[25,838,840],{"id":839},"toyamaキラリ-都市に立つ木の渓谷","TOYAMAキラリ — 都市に立つ、木の渓谷",[795,842],{"architect":797,"location":843,"name":844,"slug":845,"year":846},"富山県富山市","TOYAMAキラリ 富山市立図書館本館","library-unknown-291","2015年",[11,848,849],{},"山あいの梼原とは対照的に、こちらは富山の街なかに立つ複合施設「TOYAMAキラリ」（2015年）。富山市立図書館本館、富山市ガラス美術館、銀行が同居する、街のランドマークです。",[36,851,853],{"id":852},"この施設ができるまでガラスの街の再開発","［この施設ができるまで］「ガラスの街」の再開発",[11,855,856],{},"TOYAMAキラリは、富山市中心部の「西町南地区」の市街地再開発事業として生まれました。図書館・美術館・銀行という性格の異なる機能を一つの建物に束ねたのは、限られた都心の土地を有効に使い、人の集まる核をつくるためです。富山はかつて薬びんづくりで栄えた歴史から「ガラスの街とやま」を掲げており、館内の富山市ガラス美術館はその文化的シンボル。図書館は、その美術館と同じ建物で時間を過ごせる、ぜいたくな環境に置かれています。",[18,858],{"caption":859,"credit":860,"href":861,"src":862},"アルミ・ガラス・白御影石の約1,000枚のパネルが包む外観。","Asturio Cantabrio \u002F CC BY-SA 4.0 \u002F Wikimedia Commons","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:TOYAMA_KIRARI_exterior_in_the_morning_ac_%283%29.jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Fkengo-kuma\u002Ftoyama-exterior.jpg",[36,864,866],{"id":865},"立山連峰を映す外観内に抱く吹き抜け","立山連峰を映す外観、内に抱く吹き抜け",[11,868,869],{},"外観は、御影石・ガラス・アルミの約1,000枚のパネルが、立山連峰の岩肌や雪のように複雑な表情をつくります。時間や天候で光の反射が刻々と変わるのも見どころ。そして一歩なかに入ると、2階から6階までを貫く斜めの大吹き抜けが来館者を見上げさせます。壁面には富山県産の杉ルーバーがびっしりと張られ、都市のビルのただ中に、木でできた渓谷のような縦の空間が出現します。冷たくなりがちな複合ビルに、地域の杉で体温を与える——梼原で確立した手法を、都市建築のスケールに翻訳してみせた一作です。",[36,871,873],{"id":872},"街への溶け込みコンパクトシティの核として","［街への溶け込み］コンパクトシティの核として",[11,875,876],{},"TOYAMAキラリを語るうえで欠かせないのが、富山市が全国に先駆けて進めてきた「コンパクトシティ」のまちづくりです。富山市は2007年、青森市とともに中心市街地活性化基本計画で国の第1号認定を受け、路面電車の環状線化など公共交通を軸に、まちなかへ人を呼び戻す政策を進めてきました。中心部にあり路面電車でアクセスできるTOYAMAキラリは、まさにその政策の象徴。図書館・美術館という文化施設を都心に据えることで、買い物以外の目的でも人が集まる「賑わいの核」として機能しています。",[25,878,880],{"id":879},"隈研吾の図書館に通底するもの","隈研吾の図書館に、通底するもの",[11,882,883],{},"四国の小さな町と、北陸の県都。離れた2館に、同じ思想がはっきりと刻まれています。",[241,885,886,889,892,895],{},[244,887,888],{},"地域の素材を主役にする：梼原の杉、富山の杉。その土地の森が、そのまま建築になる。",[244,890,891],{},"木の「組み方」を見せる：登り梁、ルーバー。構造の手わざが、そのまま意匠の美しさになる。",[244,893,894],{},"コンクリートに「負ける」：素材の質感と陰影を優先し、建築が自然や街に溶け込む。",[244,896,897],{},"見上げたくなる空間：天井や吹き抜けに物語を込め、人の視線を上へ、外へと導く。",[11,899,900],{},"隈にとって図書館とは、本を守る箱である以前に、地域の森を都市や暮らしへ運び込む装置なのかもしれません。",[25,902,904],{"id":903},"_2館をめぐる-訪れ方のヒント","2館をめぐる — 訪れ方のヒント",[241,906,907,910,913,916],{},[244,908,909],{},"雲の上の図書館：高知県梼原町。山間部のため、車での来訪と所要時間の確認がおすすめ。雲の上のギャラリーや総合庁舎など、町に点在する隈建築をあわせてめぐると一日楽しめます。",[244,911,912],{},"TOYAMAキラリ：富山市中心部。富山駅から路面電車でアクセスしやすく、同じ建物の富山市ガラス美術館とセットで楽しめます。",[244,914,915],{},"入館・閲覧は無料。建築見学だけの来館も歓迎されています。",[244,917,918],{},"撮影はルールを確認：他の利用者を写さない、フラッシュ禁止、要申請など館により異なります。",[25,920,258],{"id":258},[11,922,923],{},"Q. 隈研吾が設計した図書館はどこにありますか？\nA. 代表的なのは、高知県梼原町の雲の上の図書館（梼原町立図書館・2018年）と、富山県の富山市立図書館本館が入るTOYAMAキラリ（2015年）です。どちらも地元産の杉をふんだんに使った木の建築で知られます。",[11,925,926],{},"Q. 隈研吾はどんな建築家ですか？\nA. 1954年生まれの世界的建築家で、コンクリートに頼らず木や石など地域の自然素材を生かす「負ける建築」で知られます。国立競技場の設計や、高知・梼原町での一連の木造建築でも有名です。",[11,928,929],{},"Q. 雲の上の図書館では何ができますか？\nA. 梼原産の杉に包まれた空間で、読書や見学が楽しめます。靴を脱いで上がるくつろいだ造りで、子どもから大人まで一日過ごせる図書館として親しまれています。入館は無料です（開館状況は公式でご確認ください）。",[11,931,932],{},"Q. 隈研吾と梼原町はどんな関係なのですか？\nA. 隈研吾は1987年に梼原町の木造芝居小屋「梼原座」と出会い、その保存に関わったことをきっかけに、約30年にわたって町と関わってきました。雲の上のホテル、総合庁舎、ギャラリーなど数々の木造建築を手がけ、2018年の雲の上の図書館はその集大成のひとつです。",[25,934,277],{"id":276},[11,936,937],{},"本記事は、各施設・自治体の公開情報および建築・経緯・まちづくりに関する公表資料をもとに、編集部が2026年6月時点で確認して構成しています。設計者・竣工年・再開発やまちづくりの経緯などの事実は公的資料で確認しました。写真のうち、施設名つきのカード（施設ページへのリンク）の画像は各施設のGoogleマップ等で公開されている写真を、それ以外の建築写真は Wikimedia Commons で公開されている画像（各写真にクレジットを明記）を利用しています。最新の開館状況・撮影可否は各施設の公式サイトでご確認ください。",[25,939,283],{"id":283},[241,941,942,947,953,964],{},[244,943,944,945,307],{},"建築別の総まとめは ",[290,946,306],{"href":305},[244,948,949,950,299],{},"もうひとりの巨匠 ",[290,951,952],{"href":292},"建築家・伊東豊雄の図書館特集",[244,954,955,956,294,960,335],{},"各エリアの施設は ",[290,957,959],{"href":958},"\u002Fkochi","高知県",[290,961,963],{"href":962},"\u002Ftoyama","富山県",[244,965,966],{},[290,967,321],{"href":320},[11,969,970],{},[339,971,972],{},"建物の用途・開館状況は変更される場合があります。来館前に各施設の公式サイトで最新情報をご確認ください。",{"title":343,"searchDepth":344,"depth":344,"links":974},[975,980,985,990,991,992,993,994],{"id":765,"depth":344,"text":765,"children":976},[977,978,979],{"id":771,"depth":349,"text":772},{"id":778,"depth":349,"text":779},{"id":785,"depth":349,"text":786},{"id":792,"depth":344,"text":793,"children":981},[982,983,984],{"id":807,"depth":349,"text":808},{"id":820,"depth":349,"text":821},{"id":832,"depth":349,"text":833},{"id":839,"depth":344,"text":840,"children":986},[987,988,989],{"id":852,"depth":349,"text":853},{"id":865,"depth":349,"text":866},{"id":872,"depth":349,"text":873},{"id":879,"depth":344,"text":880},{"id":903,"depth":344,"text":904},{"id":258,"depth":344,"text":258},{"id":276,"depth":344,"text":277},{"id":283,"depth":344,"text":283},"2026-06-04","「負ける建築」で知られる建築家・隈研吾が手がけた図書館を巡る建築特集。杉の梁が森のように広がる高知・梼原の雲の上の図書館、都市に木の渓谷をつくったTOYAMAキラリを写真とともに雑誌風に深掘り。建築家の歩み、図書館が生まれた経緯、街への溶け込み方、そして素材と地域への思想までを読み解きます。",[998,1001,1004,1007],{"q":999,"a":1000},"隈研吾が設計した図書館はどこにありますか？","代表的なのは、高知県梼原町の雲の上の図書館（梼原町立図書館・2018年）と、富山県の富山市立図書館本館が入るTOYAMAキラリ（2015年）です。どちらも地元産の杉をふんだんに使った木の建築で知られます。",{"q":1002,"a":1003},"隈研吾はどんな建築家ですか？","1954年生まれの世界的建築家で、コンクリートに頼らず木や石など地域の自然素材を生かす「負ける建築」で知られます。国立競技場の設計や、高知・梼原町での一連の木造建築でも有名です。",{"q":1005,"a":1006},"雲の上の図書館では何ができますか？","梼原産の杉に包まれた空間で、読書や見学が楽しめます。靴を脱いで上がるくつろいだ造りで、子どもから大人まで一日過ごせる図書館として親しまれています。入館は無料です（開館状況は公式でご確認ください）。",{"q":1008,"a":1009},"隈研吾と梼原町はどんな関係なのですか？","隈研吾は1987年に梼原町の木造芝居小屋「梼原座」と出会い、その保存に関わったことをきっかけに、約30年にわたって町と関わってきました。雲の上のホテル、総合庁舎、ギャラリーなど数々の木造建築を手がけ、2018年の雲の上の図書館はその集大成のひとつです。",[1011,1012],{"name":799,"slug":800},{"name":844,"slug":845},{},[320],{"title":754,"description":996},"architect-kengo-kuma-libraries",[],"articles\u002Farchitect-kengo-kuma-libraries",[415,416,797,417,419,1020,1021],"おしゃれ","デザイン","cRaHuuX9oLKDRYEUvQM-BAZapHOSIlfjGnAjIPXzT5k",{"id":1024,"title":1025,"author":6,"body":1026,"category":365,"cover_image":366,"created_at":995,"description":1282,"extension":369,"faq":1283,"featured":1296,"meta":1299,"navigation":385,"path":292,"published":385,"related_lp":1300,"seo":1301,"series":389,"slug":1302,"sources":1303,"stem":1304,"tags":1305,"updated_at":995,"__hash__":1306},"articles\u002Farticles\u002Farchitect-toyo-ito-libraries.md","建築家・伊東豊雄の図書館｜せんだいメディアテークからぎふメディアコスモスへ",{"type":8,"value":1027,"toc":1261},[1028,1031,1034,1037,1040,1043,1047,1050,1053,1057,1060,1064,1071,1074,1078,1081,1084,1090,1093,1096,1101,1104,1108,1111,1114,1118,1123,1126,1130,1133,1136,1141,1145,1148,1154,1157,1161,1164,1167,1171,1174,1188,1191,1193,1196,1210,1212,1215,1218,1221,1224,1226,1229,1231,1257],[11,1029,1030],{},"かつて「建築は軽やかであるべきだ」と語った男は、やがて「木」と「森」にたどり着いた。鉄とガラスのチューブで世界を驚かせ、木格子の大屋根で図書館の概念を塗り替えた——プリツカー賞建築家・伊東豊雄。",[11,1032,1033],{},"彼が手がけた2つの図書館を訪ねると、「本を読む場所」はここまで自由になれるのか、と静かな興奮を覚えます。この特集では、伊東という建築家の歩みから、2つの図書館が生まれた経緯、そして建物がどのように街へ溶け込んでいるかまでを、写真とともにじっくり読み解きます。",[25,1035,1036],{"id":1036},"伊東豊雄という建築家",[11,1038,1039],{},"伊東豊雄は1941年生まれ。2013年、建築界のノーベル賞とも称されるプリツカー賞を、日本人として6人目に受賞しました。",[11,1041,1042],{},"キャリアの前半、伊東の建築は「透明で軽やか」という言葉で語られてきました。1984年の自邸「シルバーハット」、風を可視化したような初期の作品群——重さや永続性を感じさせない、消えていくような建築。その作風が大きく転回したのが、後述するせんだいメディアテークでした。伊東はここで「ピュアな美しさから、ダイナミックな物質感や生き生きとした生命感へ」と目を向けたと振り返ります。彼自身が掲げた言葉が「新しいリアル」でした。",[36,1044,1046],{"id":1045},"鉄から木へ変わり続ける巨匠","鉄から木へ、変わり続ける巨匠",[11,1048,1049],{},"伊東の歩みは「変化し続けること」そのものです。せんだいメディアテーク（2001年）で世界の注目を集めたのち、アーチが連続する多摩美術大学図書館（八王子・2007年）、流れるような曲面が音楽を包む台中国家歌劇院（台湾・2016年）と、作品ごとにかたちを刷新してきました。",[11,1051,1052],{},"東日本大震災のあとには、被災地に小さな集会所「みんなの家」を各地に建て、建築家の役割そのものを問い直します。鉄とガラスの時代から、木や地域の素材へ。次に紹介するぎふメディアコスモスは、その大きな流れのなかに位置づけられる一作です。",[36,1054,1056],{"id":1055},"図書館という難題に何度も挑む","図書館という難題に、何度も挑む",[11,1058,1059],{},"静かに本と向き合う——図書館にまとわりつくその常識を、伊東は一度ならず問い直してきました。仕切られた書架、抑えた照明、ひそやかな足音。そうした「あたりまえ」を、彼は構造から、光から、天井のかたちから、丸ごと作り替えていきます。次に挙げる2館は、その挑戦の到達点です。",[25,1061,1063],{"id":1062},"せんだいメディアテーク-すべてはここから始まった","せんだいメディアテーク — すべては、ここから始まった",[795,1065],{"architect":1066,"location":1067,"name":1068,"slug":1069,"year":1070},"伊東豊雄","宮城県仙台市","せんだいメディアテーク","coworking-unknown-medeiate-ku","2001年",[11,1072,1073],{},"2001年、仙台・定禅寺通りのケヤキ並木に面して、透明な箱が立ち上がりました。せんだいメディアテーク。図書館・ギャラリー・スタジオが同居するこの建物は、開館と同時に「現代建築の金字塔」と呼ばれ、その後の公共建築のあり方を一変させました。",[36,1075,1077],{"id":1076},"この図書館ができるまで1995年のコンペが生んだメディアテーク","［この図書館ができるまで］1995年のコンペが生んだ「メディアテーク」",[11,1079,1080],{},"物語は、開館の6年前にさかのぼります。1995年に開かれた設計競技で、伊東豊雄の案が最優秀に選ばれました。このとき審査委員長を務めた建築家・磯崎新は、「単なる図書館とギャラリーの複合施設」にとどめず、本だけでなく映像や音楽など、あらゆる情報メディアに触れられる場所——すなわち「メディアテーク」にすべきだと提案します。施設の名前が、建築のあり方そのものを方向づけたのです。",[11,1082,1083],{},"1997年に着工、2000年に竣工し、2001年1月に開館。構造設計は佐々木睦朗が担い、後述する大胆な「チューブ」を実現させました。柱と床という建築の最小単位を組み替えた伊東の構想は、20世紀初頭にル・コルビュジエが示した「ドミノ・システム」になぞらえて「新世代のドミノ」と呼ばれることもあります。",[18,1085],{"caption":1086,"credit":1087,"href":1088,"src":1089},"定禅寺通りに面した、夕暮れのガラスファサード。","scarletgreen from Japan \u002F CC BY 2.0 \u002F Wikimedia Commons","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:Sendai_Mediatheque_2009.jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Ftoyo-ito\u002Fsendai-exterior.jpg",[36,1091,1092],{"id":1092},"海藻のように揺らぐ13本のチューブ",[11,1094,1095],{},"この建物に、いわゆる「柱」と「壁」はありません。代わりに、13本の鉄骨の網目でできたチューブがガラスの箱を貫いて立ち上がります。海藻のように揺らぐそのチューブが、建物を支え、エレベーターや階段を通し、設備を収め、光を導く。骨格と内臓を隠すのではなく、むしろ主役として見せてしまう——その発想が、当時いかに革新的だったか。",[18,1097],{"caption":1098,"credit":131,"href":1099,"src":1100},"館内を貫くチューブと、白く枝分かれする柱。光と構造が一体になっている。","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:Interior_of_Sendai_Mediatheque_202512.jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Ftoyo-ito\u002Fsendai-interior.jpg",[11,1102,1103],{},"構造部材も、設備のダクトも、壁の向こうに隠さない。デザインの中心に置く。その逆転の発想が、外壁の窓に加えて内側のチューブからも光が差し込む、まったく新しい空間を生みました。",[36,1105,1107],{"id":1106},"街への溶け込み定禅寺通りに開かれた知の広場","［街への溶け込み］定禅寺通りに開かれた「知の広場」",[11,1109,1110],{},"ガラス張りのファサードは、内と外をゆるやかにつなぎます。通りを歩く人の視線が建物の奥まで届き、なかにいる人の気配が街へにじみ出す。ケヤキ並木で知られる定禅寺通りの景観に溶け込みながら、図書館を「閉じた箱」から「街に開かれた広場」へと変えました。",[11,1112,1113],{},"その意味が際立ったのが、2011年の東日本大震災です。一時は閉館を余儀なくされましたが、復旧してふたたび扉を開くと、メディアテークは市民が集い、語り、記録を残す拠点となりました。伊東自身、この出来事を「メディアテークとは何だったのか」を問い直す機会だったと振り返っています。街に開かれた建築は、非常時にこそ人の拠り所になる——その事実を、この建物は身をもって示しました。",[25,1115,1117],{"id":1116},"ぎふメディアコスモス-木と光のやわらかな到達点","ぎふメディアコスモス — 木と光の、やわらかな到達点",[795,1119],{"architect":1066,"location":1120,"name":1121,"slug":1122,"year":846},"岐阜県岐阜市","みんなの森 ぎふメディアコスモス（岐阜市立中央図書館）","coworking-gifu-medeiakosumosu",[11,1124,1125],{},"せんだいから14年。鉄とガラスの建築家は、岐阜で木に回帰します。2015年に開館した複合文化施設「みんなの森 ぎふメディアコスモス」。その2階に、岐阜市立中央図書館が広がります。",[36,1127,1129],{"id":1128},"この図書館ができるまで50年使った図書館を建て替える","［この図書館ができるまで］50年使った図書館を、建て替える",[11,1131,1132],{},"メディアコスモスが生まれた背景には、切実な事情がありました。1958年に開いた旧・岐阜市立図書館本館は、半世紀以上を経てエレベーターもなく、専用駐車場もなく、開館は夕方6時まで——勤め帰りには使いにくい施設になっていました。",[11,1134,1135],{},"そこで岐阜市は、岐阜大学医学部・附属病院の跡地を使った市街地再開発事業として、新しい図書館を中核とする複合施設を構想します。延床面積は約2,000㎡から9,400㎡へ4.7倍に、収蔵できる蔵書は20万冊から90万冊へ4.5倍に。規模も役割も、まるで別物へと生まれ変わりました。設計者に選ばれたのが、伊東豊雄でした。",[18,1137],{"caption":1138,"credit":860,"href":1139,"src":1140},"波打つ大屋根が特徴の外観。手前のドームはカフェ。","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:Gifu_Media_Cosmos_exterior_ac_%281%29.jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Ftoyo-ito\u002Fgifu-exterior.jpg",[36,1142,1144],{"id":1143},"天井から降りてくるグローブ","天井から降りてくる「グローブ」",[11,1146,1147],{},"波打つように湾曲した木格子の大屋根。地元・東濃ひのきを編んだその天井から、ポリエステル製の白い傘「グローブ」がいくつも吊り下がります。グローブの下にはテーマ別の読書スペースが島のように点在し、人々はそれぞれの「傘の下」に居場所を見つける。",[18,1149],{"caption":1150,"credit":1151,"href":1152,"src":1153},"木格子の天井から吊られた「グローブ」と、その下に広がる開架書架。","Kanesue \u002F CC BY 2.0 \u002F Wikimedia Commons","https:\u002F\u002Fcommons.wikimedia.org\u002Fwiki\u002FFile:%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AE%E6%A3%AE_%E3%81%8E%E3%81%B5%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%82%B9_%2852196675502%29.jpg","\u002Fimages\u002Farticles\u002Ftoyo-ito\u002Fgifu-2.jpg",[11,1155,1156],{},"天井のかたちがそのまま、光と空気と人の流れをデザインしている——せんだいでチューブが担った役割を、ここでは木の屋根とグローブが引き継いでいます。自然光と自然換気を生かす設計で、晴れた日には天井越しのやわらかな光が降りそそぎ、空調や照明に頼りきらない「森の中で本を読む」ような感覚を、都市の只中に立ち上げました。",[36,1158,1160],{"id":1159},"街への溶け込みみんなの森というまちの居場所","［街への溶け込み］「みんなの森」という、まちの居場所",[11,1162,1163],{},"この施設の正式名称が「みんなの森」であることには、はっきりとした意図があります。2階の図書館に対し、1階には多目的の交流スペースやカフェ、子育て支援の機能が入り、図書館を訪れない人にも開かれた「まちの広場」として設計されました。建物は岐阜市の中心市街地に立地し、衰えがちな都心部に人の流れを呼び戻す、再開発の核としての役割も担っています。",[11,1165,1166],{},"本を借りるためだけの場所ではなく、ただ過ごしに来てもいい場所へ。せんだいで掲げた「街に開かれた建築」という思想が、木のやわらかさをまとって、岐阜でもう一度かたちになりました。",[25,1168,1170],{"id":1169},"伊東建築の図書館に通底するもの","伊東建築の図書館に、通底するもの",[11,1172,1173],{},"2館を並べると、年代も素材もまるで違うのに、不思議と同じ「気配」が流れていることに気づきます。",[241,1175,1176,1179,1182,1185],{},[244,1177,1178],{},"境界を溶かす：内と外、構造と意匠、本と人。伊東は仕切りを消し、空間をひとつながりにする。",[244,1180,1181],{},"構造そのものが風景になる：チューブも木格子も、隠される脇役ではなく、見上げたくなる主役。",[244,1183,1184],{},"自然光・自然換気を取り込む：人工的な均質さより、移ろう光と空気の心地よさ。",[244,1186,1187],{},"「居場所」を選べる：席が一様に並ぶのではなく、人が思い思いの場所を見つけられる。",[11,1189,1190],{},"図書館を「本を収める器」ではなく「人がいたくなる場所」へ。その思想が、世代を越えて2つの建築を貫いています。",[25,1192,904],{"id":903},[11,1194,1195],{},"どちらの図書館も入館・閲覧は無料で、建築だけを目当てに訪れる人も少なくありません。",[241,1197,1198,1201,1204,1207],{},[244,1199,1200],{},"せんだいメディアテーク：仙台市中心部、地下鉄・バスでアクセスしやすい定禅寺通り沿い。ケヤキ並木の散策や、1階のオープンスクエアとあわせて楽しめます。",[244,1202,1203],{},"ぎふメディアコスモス：岐阜市中心部。JR岐阜駅・名鉄岐阜駅からバス。2階の図書館だけでなく、1階の交流スペースやカフェものぞいてみてください。",[244,1205,1206],{},"撮影はルールを確認：他の利用者を写さない、フラッシュを使わない、申請が必要——など館ごとに条件があります。",[244,1208,1209],{},"静けさへの配慮を：見学であっても、本と向き合う人がいる場所。歓声や長電話は控えめに。",[25,1211,258],{"id":258},[11,1213,1214],{},"Q. 伊東豊雄が設計した図書館はどこにありますか？\nA. 代表的なのは、宮城県のせんだいメディアテーク（2001年）と、岐阜県のみんなの森 ぎふメディアコスモス（2015年・2階が岐阜市立中央図書館）です。ほかに多摩美術大学図書館などの作品でも知られます。",[11,1216,1217],{},"Q. 伊東豊雄はどんな建築家ですか？\nA. 1941年生まれの日本を代表する建築家で、2013年に「建築界のノーベル賞」とされるプリツカー賞を受賞しました。透明で軽やかな建築から、せんだいメディアテークを境に物質感・生命感のある「新しいリアル」へと作風を深めたことで知られます。",[11,1219,1220],{},"Q. せんだいメディアテークとぎふメディアコスモスは見学できますか？\nA. どちらも入館・閲覧は無料で、誰でも見学できます。撮影のルールや開館時間・休館日は各施設で異なるため、来館前に公式サイトでご確認ください。",[11,1222,1223],{},"Q. せんだいメディアテークの「チューブ」とは何ですか？\nA. 柱でも壁でもない、13本の鉄骨でできた網目状のチューブ（管）のことです。建物を支える構造であると同時に、エレベーターや階段、設備、自然光の通り道も兼ねています。隠すべき構造や設備をあえて主役として見せた点が、当時きわめて革新的でした。",[25,1225,277],{"id":276},[11,1227,1228],{},"本記事は、各施設の公開情報および建築・受賞・経緯に関する公表資料をもとに、編集部が2026年6月時点で確認して構成しています。設計者・竣工年・コンペや再開発の経緯などの事実は公的資料で確認しました。写真のうち、施設名つきのカード（施設ページへのリンク）の画像は各施設のGoogleマップ等で公開されている写真を、それ以外の建築写真は Wikimedia Commons で公開されている画像（各写真にクレジットを明記）を利用しています。最新の開館状況・撮影可否は各施設の公式サイトでご確認ください。",[25,1230,283],{"id":283},[241,1232,1233,1237,1243,1253],{},[244,1234,944,1235,307],{},[290,1236,306],{"href":305},[244,1238,1239,1240,299],{},"もうひとりの木の巨匠 ",[290,1241,1242],{"href":297},"建築家・隈研吾の図書館特集",[244,1244,955,1245,294,1249,335],{},[290,1246,1248],{"href":1247},"\u002Fgifu","岐阜県",[290,1250,1252],{"href":1251},"\u002Fmiyagi","宮城県",[244,1254,1255],{},[290,1256,321],{"href":320},[11,1258,1259],{},[339,1260,972],{},{"title":343,"searchDepth":344,"depth":344,"links":1262},[1263,1267,1272,1277,1278,1279,1280,1281],{"id":1036,"depth":344,"text":1036,"children":1264},[1265,1266],{"id":1045,"depth":349,"text":1046},{"id":1055,"depth":349,"text":1056},{"id":1062,"depth":344,"text":1063,"children":1268},[1269,1270,1271],{"id":1076,"depth":349,"text":1077},{"id":1092,"depth":349,"text":1092},{"id":1106,"depth":349,"text":1107},{"id":1116,"depth":344,"text":1117,"children":1273},[1274,1275,1276],{"id":1128,"depth":349,"text":1129},{"id":1143,"depth":349,"text":1144},{"id":1159,"depth":349,"text":1160},{"id":1169,"depth":344,"text":1170},{"id":903,"depth":344,"text":904},{"id":258,"depth":344,"text":258},{"id":276,"depth":344,"text":277},{"id":283,"depth":344,"text":283},"プリツカー賞建築家・伊東豊雄が手がけた図書館を巡る建築特集。世界を変えたせんだいメディアテーク、木と光に満ちたぎふメディアコスモスを、写真とともに雑誌風に深掘り。建築家の歩み、図書館が生まれた経緯、街への溶け込み方、そして「境界を溶かす」思想までを読み解きます。",[1284,1287,1290,1293],{"q":1285,"a":1286},"伊東豊雄が設計した図書館はどこにありますか？","代表的なのは、宮城県のせんだいメディアテーク（2001年）と、岐阜県のみんなの森 ぎふメディアコスモス（2015年・2階が岐阜市立中央図書館）です。ほかに多摩美術大学図書館などの作品でも知られます。",{"q":1288,"a":1289},"伊東豊雄はどんな建築家ですか？","1941年生まれの日本を代表する建築家で、2013年に「建築界のノーベル賞」とされるプリツカー賞を受賞しました。透明で軽やかな建築から、せんだいメディアテークを境に物質感・生命感のある「新しいリアル」へと作風を深めたことで知られます。",{"q":1291,"a":1292},"せんだいメディアテークとぎふメディアコスモスは見学できますか？","どちらも入館・閲覧は無料で、誰でも見学できます。撮影のルールや開館時間・休館日は各施設で異なるため、来館前に公式サイトでご確認ください。",{"q":1294,"a":1295},"せんだいメディアテークの「チューブ」とは何ですか？","柱でも壁でもない、13本の鉄骨でできた網目状のチューブ（管）のことです。建物を支える構造であると同時に、エレベーターや階段、設備、自然光の通り道も兼ねています。隠すべき構造や設備をあえて主役として見せた点が、当時きわめて革新的でした。",[1297,1298],{"name":1068,"slug":1069},{"name":1121,"slug":1122},{},[320],{"title":1025,"description":1282},"architect-toyo-ito-libraries",[],"articles\u002Farchitect-toyo-ito-libraries",[415,416,1066,417,419,1020,1021],"o63_7rBmvrLVRHS3iUfRjTR2OVfZy1godu6lQaXppnc",1781280138839]