コンクリートで街を覆い尽くした20世紀への、静かな反論。それが、建築家・隈研吾が掲げた「負ける建築」でした。素材は、木。手本は、その土地の森と職人。彼の図書館に足を踏み入れると、本よりも先に、まず木の匂いが出迎えてくれます。
この特集では、隈という建築家の歩みから、2つの図書館が生まれた経緯、そして建物がどのように街へ溶け込んでいるかまでを、写真とともにじっくり読み解きます。ひとつは四国山間の小さな町に、もうひとつは富山の街なかに。場所はまるで違うのに、どちらも「木の力」に満ちています。
隈研吾という建築家
隈研吾は1954年、神奈川県横浜市の生まれ。1979年に東京大学大学院を修了し、1990年に自身の事務所を構えました。国立競技場(2019年完成)の設計者として、その名は一般にも広く知られています。
「勝つ建築」から「負ける建築」へ
隈の建築思想を一言で表すのが、著書のタイトルにもなった「負ける建築」です。周囲の環境を圧倒してそびえ立つ超高層ビルのような、20世紀型の「勝つ建築」。それに対し、これからの建築は風土や自然、人の営みといったさまざまな外力を受け入れ、環境に溶け込む「負ける」道をめざすべきだ——。コンクリートやガラスで自己主張するのではなく、木や石、土といった地域の自然素材を主役に据える姿勢が、ここから生まれます。
木で世界を編む — 代表作
「負ける建築」の手法は、国内外の名建築として結実しています。日本庭園に向かってガラスで大きく開き、切妻屋根の量塊が環境と調和する根津美術館(2009年・毎日芸術賞)。建物の一部を川にせり出させ、水と一体になったスコットランド初のデザイン美術館V&Aダンディー(2018年)。そして、全国から集めた木を軒庇に編み込んだ国立競技場(2019年)。ほかにも森舞台/登米町伝統芸能伝承館(日本建築学会賞)、高輪ゲートウェイ駅、太宰府天満宮表参道のスターバックスなど、木と自然素材を生かした作品は枚挙にいとまがありません。
すべては、ひとつの小さな町から始まった
その隈研吾の木造建築の原点は、高知県の山あいにある梼原町(ゆすはらちょう)にあります。1987年、彼はこの町で木造の芝居小屋「梼原座」に出会い、その保存に関わったことをきっかけに、町と長い付き合いを始めました。雲の上のホテル、総合庁舎、ギャラリー、まちの駅——梼原には、隈の木造建築が点々と建ち、いつしか「隈研吾建築のミュージアム」とも呼ばれる町になりました。その集大成のひとつが、次に紹介する図書館です。
雲の上の図書館 — 杉の森に、分け入る
隈研吾・2018年2018年に開館した雲の上の図書館(梼原町立図書館)。扉を開けた瞬間、息をのみます。天井からは、無数の杉の梁が枝のように四方へ伸び、頭上に木の森が広がっているのです。
[この図書館ができるまで]梼原と隈研吾、30年の物語
この図書館は、ある日突然あらわれたわけではありません。1987年の梼原座との出会いから始まった、隈と梼原町の約30年にわたる関係の延長線上に建っています。ホテル、庁舎、ギャラリーと、町に木造建築を積み重ねてきた末に、町の人々が日常的に集える「図書館」というかたちにたどり着いた——いわば、長い物語の最終章のひとつです。梼原産のスギ材をふんだんに使い、鉄と杉を組み合わせた混構造で、「森のなかの町」にふさわしい森のような空間を実現しました。

木漏れ日が降る、混構造の森
複雑に組み上げられた杉の梁が、まさに森の樹冠のように覆いかぶさり、その隙間からやわらかな光が落ちてきます。中央の柱から枝のように梁が広がるさまは、一本の大樹の下に立っているかのよう。階段状になった床に腰を下ろせば、木に抱かれて本を開く、ほかにない読書体験が待っています。

[街への溶け込み]靴を脱いで過ごす、町のリビング
館内は靴を脱いで上がるくつろいだ造りで、子どもから大人まで一日を過ごせる場所として親しまれています。福祉施設「YURURIゆすはら」と一体となった複合建築でもあり、図書館が町の暮らしにそっと溶け込んでいるのも梼原らしさ。標高の高い山間の町でありながら、この建築だけを目当てに県外からも人が訪れ、いまや梼原を象徴する建築観光の拠点になっています。小さな町に、外から人と関心を呼び込む——建築が地域の活力そのものになっている好例です。
TOYAMAキラリ — 都市に立つ、木の渓谷
隈研吾・2015年山あいの梼原とは対照的に、こちらは富山の街なかに立つ複合施設「TOYAMAキラリ」(2015年)。富山市立図書館本館、富山市ガラス美術館、銀行が同居する、街のランドマークです。
[この施設ができるまで]「ガラスの街」の再開発
TOYAMAキラリは、富山市中心部の「西町南地区」の市街地再開発事業として生まれました。図書館・美術館・銀行という性格の異なる機能を一つの建物に束ねたのは、限られた都心の土地を有効に使い、人の集まる核をつくるためです。富山はかつて薬びんづくりで栄えた歴史から「ガラスの街とやま」を掲げており、館内の富山市ガラス美術館はその文化的シンボル。図書館は、その美術館と同じ建物で時間を過ごせる、ぜいたくな環境に置かれています。

立山連峰を映す外観、内に抱く吹き抜け
外観は、御影石・ガラス・アルミの約1,000枚のパネルが、立山連峰の岩肌や雪のように複雑な表情をつくります。時間や天候で光の反射が刻々と変わるのも見どころ。そして一歩なかに入ると、2階から6階までを貫く斜めの大吹き抜けが来館者を見上げさせます。壁面には富山県産の杉ルーバーがびっしりと張られ、都市のビルのただ中に、木でできた渓谷のような縦の空間が出現します。冷たくなりがちな複合ビルに、地域の杉で体温を与える——梼原で確立した手法を、都市建築のスケールに翻訳してみせた一作です。
[街への溶け込み]コンパクトシティの核として
TOYAMAキラリを語るうえで欠かせないのが、富山市が全国に先駆けて進めてきた「コンパクトシティ」のまちづくりです。富山市は2007年、青森市とともに中心市街地活性化基本計画で国の第1号認定を受け、路面電車の環状線化など公共交通を軸に、まちなかへ人を呼び戻す政策を進めてきました。中心部にあり路面電車でアクセスできるTOYAMAキラリは、まさにその政策の象徴。図書館・美術館という文化施設を都心に据えることで、買い物以外の目的でも人が集まる「賑わいの核」として機能しています。
隈研吾の図書館に、通底するもの
四国の小さな町と、北陸の県都。離れた2館に、同じ思想がはっきりと刻まれています。
- 地域の素材を主役にする:梼原の杉、富山の杉。その土地の森が、そのまま建築になる。
- 木の「組み方」を見せる:登り梁、ルーバー。構造の手わざが、そのまま意匠の美しさになる。
- コンクリートに「負ける」:素材の質感と陰影を優先し、建築が自然や街に溶け込む。
- 見上げたくなる空間:天井や吹き抜けに物語を込め、人の視線を上へ、外へと導く。
隈にとって図書館とは、本を守る箱である以前に、地域の森を都市や暮らしへ運び込む装置なのかもしれません。
2館をめぐる — 訪れ方のヒント
- 雲の上の図書館:高知県梼原町。山間部のため、車での来訪と所要時間の確認がおすすめ。雲の上のギャラリーや総合庁舎など、町に点在する隈建築をあわせてめぐると一日楽しめます。
- TOYAMAキラリ:富山市中心部。富山駅から路面電車でアクセスしやすく、同じ建物の富山市ガラス美術館とセットで楽しめます。
- 入館・閲覧は無料。建築見学だけの来館も歓迎されています。
- 撮影はルールを確認:他の利用者を写さない、フラッシュ禁止、要申請など館により異なります。
よくある質問
Q. 隈研吾が設計した図書館はどこにありますか? A. 代表的なのは、高知県梼原町の雲の上の図書館(梼原町立図書館・2018年)と、富山県の富山市立図書館本館が入るTOYAMAキラリ(2015年)です。どちらも地元産の杉をふんだんに使った木の建築で知られます。
Q. 隈研吾はどんな建築家ですか? A. 1954年生まれの世界的建築家で、コンクリートに頼らず木や石など地域の自然素材を生かす「負ける建築」で知られます。国立競技場の設計や、高知・梼原町での一連の木造建築でも有名です。
Q. 雲の上の図書館では何ができますか? A. 梼原産の杉に包まれた空間で、読書や見学が楽しめます。靴を脱いで上がるくつろいだ造りで、子どもから大人まで一日過ごせる図書館として親しまれています。入館は無料です(開館状況は公式でご確認ください)。
Q. 隈研吾と梼原町はどんな関係なのですか? A. 隈研吾は1987年に梼原町の木造芝居小屋「梼原座」と出会い、その保存に関わったことをきっかけに、約30年にわたって町と関わってきました。雲の上のホテル、総合庁舎、ギャラリーなど数々の木造建築を手がけ、2018年の雲の上の図書館はその集大成のひとつです。
調査方法・写真について
本記事は、各施設・自治体の公開情報および建築・経緯・まちづくりに関する公表資料をもとに、編集部が2026年6月時点で確認して構成しています。設計者・竣工年・再開発やまちづくりの経緯などの事実は公的資料で確認しました。写真のうち、施設名つきのカード(施設ページへのリンク)の画像は各施設のGoogleマップ等で公開されている写真を、それ以外の建築写真は Wikimedia Commons で公開されている画像(各写真にクレジットを明記)を利用しています。最新の開館状況・撮影可否は各施設の公式サイトでご確認ください。
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